先日、選のレベルの違いについて、はっきりと実感する出来事が有りました。私が講師を務めている、さるカルチャーセンターの俳句講座で「栗」という兼題が出ておりました。そこで私は次の句を投じてみました。
毬(いが)という産衣(うぶぎ)に栗の三つ子かな 伸一路
それなりに、可愛く詠めたという自信もあり、俳句評論家の家内の評判も良かったのです。その結果、20名の受講生の内13名が採って下さり、内5名の方が特選に採って下さったのです。気を良くした私は、私が通っている句会では最上級の句会にも投じ、関西を代表する25名の名人上手に評価を問うてみたのです。ところが、成績は零点。どなたも、振り向いても下さらなかったのです。
考えてみると、この句には類句・類想句が有りそうです。誰でも思う事は同じ。毬が落ちていて、中に栗の実が3個入っていれば、ある程度訓練を積んだ方であれば、私の句と同じでなくても、良く似た句は詠めます。沢山の句に目を通しておられる方からすれば、栗ならばこんな句はよく見かけるよ、ということで、箸にも棒にも掛からなかったのでしょう。
明らかに経験の差が評価の差となったのです。これはこれで良いと思います。経験を積んで来れば、類句・類想句の嗅ぎ分け方も身について来ます。今回の事は、類句・類想句を甘く見た私の手落ちだったと思います。良い勉強になりました。
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