先日の句会で、次の句が出されました。
爽やかや引退語る名選手
句の内容はいとも明瞭で、日常的にも良くある話です。しかし、問題は「名選手」という表現です。どんな選手か知りませんが、作者が勝手に自分の判断で名選手だと決めつけているだけかも知れません。そうであれば、作者の判断を読者に押し付けることになります。
競馬場の馬場を馬が走っているとしましょう。群を抜く速さで、まるで空を飛ぶように走る馬を駿馬といいます。ところが馬場を走る馬をすべて駿馬と読む人があります。中には、あまり足の速くないのもいます。いわゆる駄馬です。そんなものまで十把ひとからげにして駿馬というのはおかしなことです。
俳句では、作者の勝手な判断を交えることは禁じ手です。有りのままの状況をそのまま読者に提示して、読者の判断で鑑賞してもらうのが、俳句の原則です。例えば掲句は、
爽やかに引退語る選手かな
これで良いのです。作者に押し付けられなくても、読者には名選手であったことが分かります。愛犬とか、愛猫とか、自分の飼っている犬や猫をこのように呼ぶのも、押し付けです。それこそ、要らぬお世話です。心したいものです。
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