2020年11月23日月曜日

「冬めけり」と「冬めける」

 ある句会で、次のような句が出されました。

  ①日暦の一枚毎に冬めけり

  ②朝市にスープの匂ひ冬めけり

  ③好日の続きながらも冬めける

  ④連山の雲の動きも冬めける

①②の句が「冬めけり」で終っており、③④は「冬めける」で終っています。

入れ替えてみて、①②の句を「冬めける」で終ってみましょう。

  ①’日暦の一枚毎に冬めける

  ②’朝市にスープの匂ひ冬めける

同様に、③④の句を「冬めけり」としてみましょう。

  ③’好日の続きながらも冬めけり

  ④’連山の雲の動きも冬めけり

最初の句と、どう違うでしょう。変えた方がぴったりする句が有るようにも思います。私は、自分の想いを発散させたい時には「けり」を、逆に思いを内包させたい時には「ける」を使います。躁の思いを「けり」で、鬱の思いを「ける」で表現すると言えるかもしれません。楽しさ・嬉しさ・壮麗さを思い切りぱーっと発散させたい、と思ったら「けり」と使う。逆に、悲しさ・淋しさ・厳粛さを心に仕舞い込みたい場合は「ける」を使うことが多いように思います。

違いの原因は、母音のイ音で終るか、ウ音で終るかの、音に対する感覚の違いだと思います。どちらが正しいというのではなく、自分の想いを表現するにはどちらを使えばよいか、ということです。歳時記の例句を沢山読んで、「けり」と「ける」の使い方の違いを研究してみましょう。

    玉砂利を踏む音もまた冬めける   伸一路

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