ある句会で、次のような句が出されました。
①日暦の一枚毎に冬めけり
②朝市にスープの匂ひ冬めけり
③好日の続きながらも冬めける
④連山の雲の動きも冬めける
①②の句が「冬めけり」で終っており、③④は「冬めける」で終っています。
入れ替えてみて、①②の句を「冬めける」で終ってみましょう。
①’日暦の一枚毎に冬めける
②’朝市にスープの匂ひ冬めける
同様に、③④の句を「冬めけり」としてみましょう。
③’好日の続きながらも冬めけり
④’連山の雲の動きも冬めけり
最初の句と、どう違うでしょう。変えた方がぴったりする句が有るようにも思います。私は、自分の想いを発散させたい時には「けり」を、逆に思いを内包させたい時には「ける」を使います。躁の思いを「けり」で、鬱の思いを「ける」で表現すると言えるかもしれません。楽しさ・嬉しさ・壮麗さを思い切りぱーっと発散させたい、と思ったら「けり」と使う。逆に、悲しさ・淋しさ・厳粛さを心に仕舞い込みたい場合は「ける」を使うことが多いように思います。
違いの原因は、母音のイ音で終るか、ウ音で終るかの、音に対する感覚の違いだと思います。どちらが正しいというのではなく、自分の想いを表現するにはどちらを使えばよいか、ということです。歳時記の例句を沢山読んで、「けり」と「ける」の使い方の違いを研究してみましょう。
玉砂利を踏む音もまた冬めける 伸一路
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