随分ご無沙汰を致しました。毎日、仕事の山に埋もれています。それだけ仕事が増えて来ているのでしょう。出版社からの原稿依頼も増えて来ました。ある結社の主宰は遅筆で有名ですが、その内私も、と心配です。締切前日に速達が出発しています。どなたか猫の手を5本ほど貸して頂けませんか?
さて、かつては12月の句会を納め句座と呼んでいました。九年母会では、それが当たり前でした。5年ほど前までは私もそう呼んでいました。しかし汀子先生の句会で先生に指摘されて改めました。「納めるって、どこへ納めるの?師走句座でいいじゃないの」と。それ以来、納め句座という題を使うのは止めました。
確かに、「納め○○」という言葉は宗教関係しかありません。日本大歳時記には、納め水天宮、納め金毘羅・納め庚申などの季題が載っています。終大師・終天神・終弘法などもありますが、宗教関係以外では終相場があるのみです。仕事納めという言葉に引きずられて出来た言葉かも知れませんが、ローカルな季語なのでしょう。
先日の句会で、師走妻という題を使った句が出されましたが、随分古い題だと思いました。社会の在り方が変化しているのに、まだこんな題を使う人が有るのかと驚いたくらいで、陳腐の極みだと思います。俳句の言葉は日進月歩。俳句に相応しい言葉を取り入れて行く事は、時代の歩みに適ったことです。かと言って、一時的な時事を詠み込むのは、伝統俳句としては如何かと思います。GOTOとアルファベットで詠んだ句を見かけますが、はたして花鳥諷詠の理念に適うものなのかと、疑問に思います。
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