2020年12月30日水曜日

文語体と口語体

 外は猛烈な寒さ。数年に一度という寒波が襲来しています。雪も降っているようです。といっても芦屋の雪など、雪国の方からすれば物の数ではないでしょうけれど。もう二つ寝るとお正月。いよいよ2020年も令和2年も終了。コロナに始まりコロナに終わった一年でした。俳句関係のイベントはほとんど中止となりました。それでも、様々な機会で入賞・受賞された方には、思い出深い年となったでしょうね。おめでとうございます。

ところで、先日の句会で、次のような句が投句されました。

   枯蓮生きた証しの軽さかな

「生きた」は、日常の会話で使う口語体。これに対して「軽さかな」は文語体。「生きた」は文語体では「生きし」とします。

   気忙しい人の流れや街師走

この句も、「気忙しい」は口語体、「流れや」は文語体です。「気忙しい」は文語体では「気忙しき」です。

俳句は、室町時代の末ごろに始まった俳諧の連歌に源を発しているのですから、文語体で詠むのが基本です。俳句の世界では口語体で詠む人もありますが、九年母会は虚子の流れを汲む伝統派ですから、文語体で詠んでいます。百歩譲るとしても、どちらか一方の文体に統一することが必要です。掲句のように両方の文体が混じっている俳句は評価出来ません。

美しい文語体を使いこなせるように、日々学びましょう。

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