2021年7月21日水曜日

古壺新酒

 女子のソフトボールを皮切りに、いよいよ東京オリンピックの試合が始まりました。開会式は明後日ですが、試合はどんどん進められて行きます。それと並行して、新型コロナウイルスの感染者が拡大しています。特に東京都と隣接する三県での拡大が急ピッチです。来日する関係者の感染も急増しており、心配な事です。どうにもならない、悲惨なことにならなければ良いがと案じています。

ところで、「見てあきず」という表現があります。漢字で表記するならば「見て飽きず」で「見て厭きず」とも書きます。古典文法では、「飽く」の未然形「飽か」に打消しの動詞「ず」を付けて「飽かず」となります。

先日のある句会で、「合歓大樹薄紅花を見てあきず」という句が出されました。「見て飽きず」の句です。私が俳句を始めた昭和59年頃、最初にお世話になった古澤碧水師がこのフレーズを詠んで居られたので、機会が有れば詠みたいと念願していました。

その後幾つか、それらしい句を「見て飽きず」で詠みましたが、九年母雑詠で播水選に採って頂いたのが、句集「鳥語」に収めています、平成十三年の次の句でした。

      秋天の鳶の諍ひ見て飽かず     伸一路

今から思うと、いかにも古い句だという思いがします。憧れて作ったのですが、昭和の俳句だという感じです。

虚子は「古壺新酒」という作句理念を提唱されました。俳句は古い文芸(古壺)ではあるが、その中には新酒、つまり、その時代時代の新しい句材、新しい表現を満たせ、という意味です。新しい句材と新しい表現とを常に求め続ける努力が無いと、沈滞した俳句になります。先代の哲也師の句ですら、もう古いと感じることが有ります。常に時代に前向きに詠みたいものです。

      帰省子に父の医学の古びたる    播水     


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