2021年10月3日日曜日

独学の弊を避ける

 久し振りにブログを更新します。とにかく、どうしようもなく忙しい。今日も朝から合計550句の選の依頼が届き、今日の句会でご一緒だった水田むつみさんと、忙しさをぼやき合いました。ブログで俳句の勉強をされている皆さんには申し訳ないことですが、なかなかブログに向かう時間が取れません。御免なさい。

さて今日は、独学の弊に付いてお話しましょう。私は句会や吟行、勉強会や会議などで、月15〜16日は出掛けています。定年退職してからは教養と教育、つまり「今日用が有って、今日行くところが有る」のが健康に生きる秘訣だと言います。教養と教育のお陰で、忙しいですが毎日元気に働いています。

ところが、どこにも行かず、自宅でコツコツと俳句を学んでおられる方も多いと思います。結社に入って結社誌をご覧になっておられる方はまだしも、結社にも属さず、たまに俳句雑誌を本屋で買って来て読んでいるだけ、あるいはテレビの俳句番組だけで独学をされている方も多いかと思います。その様な方が陥りやすいのが自己流(我流)の季題の解釈だと思います。

句会に出て、廻って来る清記に書かれている句を丹念に読んでいくと、自分がイメージしている季題の解釈と違う解釈の句に出会います。そして、同じ様な解釈の句が次々に回って来ますと、自分が思い込んでいた解釈が違っていることに気付くことが有ります。これが句会と言う勉強会の一番の効果です。

例えば、十六夜という題で詠むとします。満月の次の夜の月を詠めばよいのではありません。楽しみにして来た満月が終わった落胆や目標を失った一抹の淋しさ、日に日に秋が深まって行く思いを十六夜と言う季題で表現します。上級の方と一緒に句会をし、廻って来る清記を丹念に読んで行くと、この事が分かって来ます。

ところが独学では、このような勉強が出来ません。可能であれば月一回でも良いので、将来への投資のつもりで、遠くからでも句会に参加されると良いでしょう。九年母会では、本部吟行と本部例会とを毎月一回開催していますので、活用して下さい。その他、各地に支部や句会が有りますので、ホームページをご覧ください。九年母会所属の句会はすべてオープン参加方式で、どなたでも参加できます。

清記は俳句の宝箱。私ならこう詠むな、というヒントを頂く事も有ります。俳句は座の文芸と言われ、参加者全員で句会に出された句を練り上げていくものです。良くできた句は入選に、そうでなかった句は落選となります。何人もの方の選に入る句は素晴らしい句です。他人の意見に耳を傾けることの大切さを学び、独学の弊に陥らないようにしましょう。

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