先日の読売新聞の俳壇を見ておりましたら、次の句が目に留まりました。
枯菊を焚きて真紅の火となせり
選者の特選句に入っている句で、このままでも十分通用する句です。しかし、私は何か物足りない感じがしました。枯菊を焚いて真っ赤な火にしました、ではどうも説明的な感じがしませんか。私がよく申し上げる「以上報告終わり」という感じです。なぜでしょう。
先ず、言葉の並べ方が報告調である、ということが挙げられます。しかしもっと大切なことは、作者の感動が感じられないことです。このことも毎度申し上げていますが、「それでどうしたの?」「それで何が言いたいの?」ということです。
光景の説明は分かるのですが、それで何に感動したのか、ということが伝わって来ません。この句を、例えば次のように表現してみたらどうでしょう。何が見えて来ますか。何を感じますか。
枯菊を焚けば真紅の火となりぬ
真っ赤な火にした、これは説明です。真っ赤な火になった。これは感動です。如何でしょう。そうすれば、枯菊という季題を味わうことができます。枯れてはいますが、かっては真紅の大輪の花をつけていた菊であったかも知れません。精一杯の散り際の美しさに、私たちは「あはれ」を感じずにはいられないからです。
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