2013年12月29日日曜日

大文字と闇

旧ブログが、外部の第三者に妨害され中止のやむなきに至ったことは、ご高承の通りですが、恐らく今月末をもってサーバー上から削除されると思われますので、記事をプリントしていましたら、最後の記事にコメントが入っているのに気が付きました。

ブログ会員の忠正さんからのコメントで、「俳句界」12月号(グラビアに私の写真が載った号です)の雑詠欄有馬朗人先生の特選にご自分の句が入選しているので、句評をせよ、との事でした。特選二席目に、

       直前の闇深深と大文字     忠正

とあり、「この句は大文字の火がつく直前の緊張した雰囲気をよく描いている。直前の深い闇に着目したところが良い。」という朗人先生の句評が添えられています。まさに当を得た句評であり、もちろん私も同感です。

それでも何か、あえて句評せよ、と仰るならば、火が付く前の闇の深さと、火が消えた後の闇の深さでは、どちらの方がより深いか、ということを考えてみたいと思います。真っ暗な大文字山に火が付き、次第に大の字に広がってゆく、暗から明への変化に、周囲からは思わず歓声が上がったことでしょう。しかし、「大文字」という季題の働きが十分に出ているでしょうか。

京都の方は「大文字焼き」という言葉を嫌うそうです。たこ焼きやもんじゃ焼きと同じではないと。大文字は送り火なのです。ご先祖の御霊を、彼の世へお送りする行事です。私は、むしろ火が消えた後の方が、闇がより深いのでは、と思います。残された者の心の寂しさ。その虚ろな心に、火の消えた闇の深さは、いや増すのではないでしょうか。

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