前回の「嬉しいこと」という記事に、匿名の方からコメントを頂きました。そのコメントを公開しましたら、大石勲様から、匿名の方に対してお礼のコメントを頂きました。私自身、少しずつですが、新しいブログの使い方が分かって来ました。読者の皆様同志の交流に、お役に立てば何よりです。どうぞ皆様もコメントをお寄せ下さい。公開が不可であれば、その旨書き添えて下さい。
さて、先日の朝日俳壇大串章選に、次の句が入選していました。
冬木見る明日ある子等を見るやうに 水船つねあき
冬木という季題の働きが良く出ている、と感心しました。作者の見ておられる冬木は、見上げるような大木ではなく、せいぜい胸の高さまでの若木でしょう。三椏や山茱萸の苗木かも知れません。見ると、枝先に沢山の冬芽が息づいています。冬芽の中には、春に芽吹く花芽が畳み込まれているのです。
このような冬木を、明日ある子等を見るように見ている作者。俳句を学んだ人の眼、冬木とはなにか、ということが分かっている人の眼です。
読売俳壇宇多喜代子選に、
百本の個性を見たり冬木立 鈴木基之
という句があり、良い句だな、と思いました。冬木立とは、冬木の林です。百本の、とは沢山の、と言うこと。沢山の冬木に、それぞれ個性がある、という発見の句。未来を秘めて、元気に生きているから個性があるのです。朽ち果てた木には、個性はありません。
冬木は、単に冬に見られる、葉が落ちた木ではありません。寒さに耐えながら、春が来るのを待っている木のことです。冬木という季題の本意をしっかり踏まえた俳人の眼で、もう一度冬木を見てみましょう。
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