2014年3月19日水曜日

霞と朧

昨年12月の入院・手術以来中止していましたラジオ体操を今日から再開、近くの森での早朝の定点探鳥も再開しました。シロハラがプリプリプリと鳴いていました。やっと気持ちが前向きになって来たように思います。

さて、今日の講座で、このような句がありました。

      春霞橋の対岸島隠す

多分、明石海峡大橋の架かる淡路島の光景を詠まれた句なのでしょう。春霞が大橋が架かる対岸の島を隠している、とい句意は明確ですが、いくつかの問題点があります。

① 三段切れの構図
② 春霞という季題の問題
③ 橋の要否

先ず、①の問題。 春霞/橋の対岸/島隠す と三段に切れています。どうすれば流れが滑らかになるでしょう。散文体に戻して、表現の仕方を練り直してみましょう。

      春霞(が)橋の対岸(の)島を隠す

次は、春霞という季題。この使い方は基本的に誤りです。霞だけで春の季題。春をくっ付ける必要はありません。また、空気中に小さな水滴が含まれている状況を、日中は霞、夜間は朧と使い分けています。日中の光景に朧を使った句がありますが、朧は夜のもの。春は霞、秋は霧。春の夜は朧、秋の夜は夜霧です。

最後に、橋という言葉が必要かどうか。作者が見られた光景には明石海峡大橋があったのでしょうが、全国の読者にとって橋が必要かどうかどうか。俳句は極めて短い文芸です。言い過ぎるくらいなら、言わない方が良い。必要最低限、ぎりぎりに抑えて、出来る限り単純に作りましょう。芭蕉も「謂ひおほせて何かある」と仰っています。言い過ぎてはいけない、という事です。

これらを総合的に検討して、こうしたらどうでしょう。平凡ですが。

       対岸の島を隠して朝霞
 

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