先日、五葉句会の吟行会が、南芦屋浜で開催され、句会場は虚子記念文学館の研修室をお借りしました。当日は曇天で、肌寒い海風が吹く、あいにくの天気になりましたが、昭和2年生まれを先頭に、総勢14名が元気に吟行しました。ヨットハーバーに隣る、南欧風の教会の塔には結婚式の鐘が鳴り、要黐(かなめもち)の赤い若葉の径を進むと、花蘇芳(はなずおう)、紅花万作(べにばなまんさく)などが、新興住宅の庭を彩っていました。広大な人工の浜辺では、腰まで浸かって、浅蜊を掻く人も見られました。虚子館の庭の、真新しい私の俳磚もご覧に供しました。
さて、句会の互選では、次の句が大変好評で、巻頭を得る勢いを示しました。
快走と云ふ傾きのヨットの帆
確かにしっかり写生が出来ています。快走するヨットの帆が見えて来て、互選では4人の方が特選に採っておられました。しかし、私は次の句を巻頭に頂きました。
のどけしや空にとけゆく婚の鐘
この句は、情景を写生したものではありませんが、「のどけしや」という季題の働きが効いている、と思ったからです。
俳句の命は季題の働き。虚子もその著「虚子俳話」の中で、「その思想(作者の感動:筆者注)とその季題とが一つになって、十七字の正しい格調を備へて詩となる。それが俳句なのである。」と述べておられます。ヨットの句は、帆の傾きに焦点を当て、情景を切り取って読者の脳裏に貼り付けることよって、感動を伝えようとしました。一方、婚の鐘の句は、のどけさを表現するための材料として、婚の鐘の音が空に溶け込んでゆくイメージを読者に提供しました。
常々、「季題を詠むな、季題で詠め」と申し上げていますが、ヨットの句は前者、すなわち季題を詠んでいます。一方、婚の鐘の句は季題で詠んでいます。これで、後者を巻頭に選んだ理由がお分かりになったと思います。 ご健吟下さい。
岸に寄る波音残し鴨帰る 伸一路
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