2025年9月12日金曜日

住吉大社観月祭献詠俳句最終選考の結果

 9月12日(金)午前11時から、住吉大社吉祥殿に於いて、掲題の選者会が開催されました。出席した選者は、俳誌「かつらぎ」森田純一郎主宰、俳誌「未央」古賀しぐれ主宰と私の3名。普段は仲の良い3人ですが、いざ選になると意見が対立してガチの議論になります。宮司さん他、大社の関係者も同席され、我々の議論を聞いておられる。そして順に入賞・入選の作品が決まって行きます。投句総数480句。内、最終選考に残った句は17句。内、九年母関係者の句は8句。内6句が入賞・入選となった。詳細は以下の通り。

   天賞 言の葉の玉なす月の祭かな     柏木由美子

   佳作 あふれ降る光分かちて月の客    平  敦子

   同  歌神の静かに降りて来し月夜    清水貴美代

   同  偕老の影の静かに月の縁      塩見 成子

   同  月に詠む大和ことばの調べかな   仲井 慶舟

   同  蘭陵王まなこ鋭く月に舞ふ     渡辺しま子

入賞・入選者合計13名の半分を今回も九年母会員が占めるという、抜群の成績でした。受賞される皆さんに心からなる祝福をお送りするとともに、僅かな差で受賞を逃された2名の方を始め、投句された会員の皆様の御努力に敬意を表します。ご苦労様でした。

なお、表彰式は10月6日(月)の18時から。第一本宮に於いて斎行された後、会場を朱塗りの太鼓橋に移し、若い神官により短歌と俳句の受賞作品が披講・朗詠されます。満月が見下ろす橋の袂には大きな篝火が焚かれて雅楽が奏され、まさに平安時代の雅の世界が現出されます。

2025年9月1日月曜日

多作の勧め

 作者によっては毎日何十句という俳句を詠む人もあれば、雑詠選に出すため月に5句詠むのが慣わしのようになっている人もあります。人は様々で、どちらが良いというものではありません。しかしこれはベテランの域に達した人のことであって、その域に達していない人は、多作を心得るべきだと思います。

駄句でもなんでも良いのです。とにかく5・7・5の形に言葉を配して季題を置く事を、普段から心掛けましょう。散歩する時も、食事をする時も、家事をする時も、いつも俳句のことを考えていて、とにかく何でもよいから5・7・5にしてみましょう。俳句のリズムを心に浮かべることです。朝顔があったら詠む。蝉が鳴けば詠む。何かに感動したら詠んでみましょう。すべて訓練です。

この様な訓練を積んでいると、自然に俳句が浮かんでくるようになります。句材を発見する訓練が効果を発揮しだしたのです。たくさん詠んで、その中から気に入った句を句会に出せばよいのです。とにかくたくさん詠むことをです。そうすれば良い句も詠めてきます。

私はその昔、伝統俳句協会賞の応募句を得るために、三日間神戸港に通って、毎日50句詠む行に取り組んだことがありました。俳誌「未央」の主宰をされた吉年虹二先生が今宮戎神社の初戎献詠俳句祭の表彰式の際、「君は月に何句詠むかね」と質問されました。私が主宰になる遥か前のことです。私は「毎日5句ぐらいですから150句ぐらいです」とお応えしたら先生は、「私は毎月900句は読んでいるよ」と仰いました。さすがに偉い先生は違うと感心したことがありました。皆さん、たくさん詠みましょう。

2025年8月28日木曜日

アイヌ民族の文化を学ぶ

大阪俳句史研究会ご依頼の講演会や播水に関する論文執筆などの、「九年母」 刊行百周年記念事業の事業が全て終わりましたので、娘をガイドとして家族3人で、8月20日から22日まで、北海道の道南の旅に出かけました。

先ず初日は函館を訪れ、日本史好きの娘の希望で五稜郭の旧奉行所や五稜郭タワーを見学し、旧幕府軍と明治新政府軍との戊辰戦争について学びました。翌21日は函館市内の坂本竜馬資料館や旧函館公会堂など、歴史的な文化財を巡り、登別で宿を取りました。

三日目は白老に行き、私が一番楽しみにしていたアイヌ民族の文化に触れられる施設「民族共生象徴空間・ウポポイ」を見学しました。以前から大和言葉とアイヌ語との共通点に興味を持っていましたが、今回は施設で演じられるウポポ(歌)やリムセ(踊り)を実際に見聞きして、歌の音律の共通点を探るのが目的でした。その結果、重大な発見がありましたが、詳しくは九年母誌上で発表する予定です。

チタタプとはアイヌ語で「私・叩く・物」という意味で、肉や野菜を刃物で細かく叩いて料理を作る時に唱える言葉だそうです。千葉県の郷土料理「なめろう」のようなイメージでしょうか。チ(私)は自分を表す関西の女性の言葉ウチのチでしょうか。タタはそのまま「叩く」です。盆のことをイタと、これもそのまま。板を叩く。面白いですね。皆様も言語感覚を研ぐためにも、アイヌ語をスマホで検索してみましょう。アプンノ オカヤン(さよなら)

2025年8月11日月曜日

新時代の句会(九年母8月号より)

  令和7年6月19日、姫路句会、笹子句会に続き、JRの新快速が停まる駅シリーズの第三弾として、明石市に朝霧句会が誕生した。第一弾である姫路句会は九年母姫路支部を母体に姫路市内に有った俳句講座の受講者が合流して発足したもの。第二弾の笹子句会は県立嬉野台生涯教育センターの俳句講座の受講生を母体にして播磨句会が合流して発足したものである。いずれも既存の句会の会員の減少に対処するために私が中心となって統合を図ったものである。

かつては小学校の保護者が集まってグループを作り、俳句結社の幹部を指導者に迎えて俳句を習った。全員が初心者か多少の経験者だった。会社や役所、学校でも俳句クラブが盛んに作られた。その結果、昭和の後半から平成にかけての俳句の一大興隆期を迎えたのである。

 播水の頃には九年母会の支部・句会が全国に88あったと言われるが、その頃が当会の絶頂期だったのだ。全国各地に有力な幹部が居られ、その方を中心に支部活動が展開されていた。しかしその後、新しい俳誌が勃興し俳句愛好者が分散した。加えて関西地区は平成七年に阪神淡路大震災に襲われ、当会でも沢山の方が亡くなられた。その後急速に進んだ人口の高齢化と新型コロナの蔓延に伴う活動の低下のために会員が急速に減少、豊橋、広島、鳥取などでは支部が消滅した。関東支部では病気療養の方が多く、会員が関東各地に分散していることもあって、集まって句会を開催するのが難しくなっている。それでも橋本文男さんを中心にメールやファックスなどを使って継続されており、そのご努力には頭の下がる思いである。

 少子化の影響も大きい。私は昭和22年に生まれたが、同級生の数は全国で260万人だった。いわゆる第一次ベビーブームである。しかし昭和24年をピークとして新生児の数は減り続けて、昨年生まれた赤ちゃんの数は68万人と、ベビーブーム世代より200万人も少ないのである。

そのような環境の中で私が考えたのが、句会の統合である。既存の句会にはそれぞれ創設の謂れがあり歴史がある。しかしそれに拘っていては少子高齢化の波によって、やがて消滅してしまう。座して死を待つより少しでも復活の可能性がある句会同士が合併・統合した方が生き残れる可能性が高まると考えた。

一方、私には句会の選者や後日選、「九年母」や俳句雑誌の原稿の執筆など。山のように仕事があり、五分でも十分でも時間が欲しい。そのため高速で移動でき、車内でも仕事が出来る、JR神戸線を新快速で移動するという方法を考えた。JR西日本の新快速は、時速130キロという特急並みの高速で走行するが、特急料金を取らないという優れモノである。これを利用しない手はない。汀子先生も、俳句を作るには適度な緊張感があって静かな新幹線の中が一番良いと仰っておられた。 このようなことから新快速の止まる駅の近くに句会を集約することにした。

その頃、私が講師を務める姫路市内のショッピングセンターにあった俳句講座で、受講料の値上げと私の講師料の引き下げの要求が運営団体から出された。対応策について受講者と相談したちところ、受講料が高く交通の便も悪いので全員がこの講座を退会して九年母姫路支部に合流することになった。受講者が消えてしまっては講座が成り立たないので私は講師を辞任した。大半の方が赤穂から来ておられる九年母会員だったので、団結力がものを言った。高齢化が進み会員が減っていた姫路支部が新しい仲間を迎えて蘇ったのである。

 笹子句会は西田浩洋元編集長亡きあと手薄になっていた播磨地区の句会を活性化させるために西脇市・加東市・加西市・三木市等の北播磨地区と加古川市・高砂市・播磨町等の東播磨地区の九年母会員や俳句愛好者に働き掛けて令和二年に私が創設した句会である。西脇市在住の会員を起爆剤にして、県立老人大学の俳句部の皆さんに声を掛けて結成し、そこへ播磨地区の会員の有志が合流し現在に至っている。

 今般結成した朝霧句会は、明石支部と垂水支部を指導して来られた松田きよしさんが逝去され、指導者を失ったので、東播磨の中心である明石地区での九年母会の活動の活発化を図るために両支部を統合し、明石市内や神戸市西部にお住いの会員や、私が講師を務めている明石高年クラブ連合会主催の俳句講座の受講者に声を掛け、一緒に基礎から俳句を学ぶ機会を提供しようとするものである。

 私は俳句の会は大相撲の力士が所属する「部屋」のようなものだと思っている。厳しい稽古を重ねることによって強くなってゆく。序の口から這い上がって、やがて関取になって大関や横綱を目指すのである。九年母会でも誌友・会員・同人・推薦作家と出世の道がある。今回述べたいずれの句会も、誰でもいつでも参加できる。ご近所の方は立ち寄って汗を流していただきたい。私が稽古のお相手を務めさせていただく。

2025年7月29日火曜日

原稿執筆終了

 御心配をお掛けしましたが、夏風邪はほぼ治りました。ほぼとは、咳が少し残っていること。発症から治癒まで3週間かかりました。百周年の記念行事の準備を進めていた頃は「風邪を引いている暇がない」という状態でしたが、大会が終わって体力がガクンと落ちたのが実感できます。

4月の末に、大阪俳句史研究会のご依頼で、伊丹市の柿衞文庫にて、播水の人生についての講演会を開催しましたが、その講演会の内容を活字化し、原稿用紙50枚の作品が本日仕上がりました。

播水の人生について纏めた書物は今まで発表されていませんので、伝記風にまとめた資料は今回が初めてです。播水の誕生から説き起こして、学生時代、虚子との出合い、医者としての播水、俳人としての播水、70年間の長期政権の要因などを編年的に述べ、最後に作品の解説をして終えました。京鹿子の三人と称された時代や虚子との交流を丁寧に描き、播水のお人柄に最大の焦点を当てて纏めました。百周年記念祝賀会と今回の播水の伝記の執筆で、百周年記念事業は終わりです。

俳句四季の「レジェンド 我が源流五十嵐播水」と重なる部分もありますが、秋ごろには同研究会の書物が刊行されますので、是非読んでみて頂きたいと思います。

2025年7月5日土曜日

声が出ない

 7月5日に、日本で大災害が起こるという噂が世界的に流布され、海外から日本に飛来する定期便が減便になるという副作用まで発生した。しかし今のところトカラ列島の地震が報道されているだけで、東京直下型地震や南海トラフ地震の報道は入って来ない。それにしても無責任な噂を流す輩には腹が立つ。

その様な日に、私に異変が起こった。声が出なくなったのだ。7月3日あたりから喉に違和感があり、葛根湯を飲んで様子を見ていたのだが、昨夕頃から喉の痛みが強くなって来た。熱は無いけれど一応コロナを疑って掛かり付けの医院を受診したら、冷房病だとの診断だった。

熱帯夜が続くので、エアコンを点けっぱなしにして寝ていると、空気が乾燥して喉を傷めるとのこと。「朝からこんは人ばかりですわ」と先生。風邪薬やうがい薬、トローチをいただいて帰った。就寝するときはマスクを掛けて、湿度を保つようにしてみた。ところが今朝起きたらマスクは外れて転がっており、何よりも声が出なくなった。

今日は灘区文化センター俳句講座の夏季講座の初日。lineやメールが繋がる方には直接連絡し、繋がっていない方にはセンターの事務局から電話をして頂くように依頼した。受講生の皆様にはご迷惑をお掛けしたが、ご了承願いたい。

朝から取り掛った紀伊俳壇の選が終わった夕方頃には、薬効が現れ声が少し出るようになった。しかしまだドナルドダックが風邪を引いたような声だ。俳句の講師や落語家は声が出ないと仕事にならない。早く治すように治療に専念したい。

2025年6月19日木曜日

新しい句会の船出

 本日、九年母の明石句会と垂水句会とを統合し、新しく参加する方を加えて、朝霧句会がスタートしました。本部からは片岡副主宰、仲井編集長と岸本副編集長が特別参加され、総勢18名で句会を開催しました。

先ず私の方から新しい句会の運営に関する注意事項を説明し、続いて自己紹介をした後、初句会に入りました。兼題は十薬と万緑。席題と特選の寸評は時間の関係で本日は割愛しました。

新しい句会の出発を寿ぐ句もたくさん出され、講評にも十分な時間を取って、充実した句会になりました。全員が1句以上入選し、明石高年クラブ連合会主催の私の俳句講座を聴講されている方が巻頭を得られました。上々の船出だったと思います。この句会の目的は俳句の基礎を学ぶこと。自分の足らざるところを他の参加者の句から学びます。そうでなければ句会を開く意味がありません。そのためには清記をしっかり読むことが大切です。

季題の活かし方、助詞の使い方、表現の工夫などを他の方の句から学びます。お菓子を食べお喋りをして、という親睦のための句会ではありません。明石市やその近隣にお住いの方で俳句の基礎を学びたいと思われる方は、是非ご参加ください。俳誌「九年母」の主宰が厳しく優しく懇切丁寧に指導させていただきます。